色々なコレクターズ・アイテム
2017年12月の入荷分
29/53
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V988以前の商品は V962-1〜V988 をご覧ください。 |
番号 |
画像(表、裏又は...) |
商品名 (説明、状態など) |
価格(円) |
インドシナの地名、マルチ・ビューの絵葉書
V989〜はマルチ・ビューMulti
Vuesとはマルチ写真、すなわち1枚の絵葉書の中にいくつかの写真が入っているようなものを指す。
1900年代の初めに発行されたものは、当然だが圧倒的に北部トンキン地方のものが多い。中部以南となるとそれなりの大きな都市でも見られない。
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V989 |
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アンナン ANNAM
通信欄の記載はないが、1C切手(1907年発行)が貼られ、消印が押されている。日付は読めないが、地名はクァンイェン(Quang
Yen)である。
クレジットは左下Marque au
Brule Parfumのロゴ、右下にDieulefils,
Photo-editeur, 未使用だが通信面はいく分変色、色むらがある。
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755 |
V990 |
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アンナンからこんにちは UN
BONJOUR d’ANNAM
クレジットは左下部にある天秤棒を担いだ女性のイラストで記されているM.Passignat(下画像は当該部の拡大)で、ハノイの美術商、輸出入業者である。
未使用で通信欄に"Collection
J.F.M.”の印が押されている。経年などで通信面にいくらか汚れが見える。
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1,410 |
V991 |
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アンナンのお土産 SOUVENIR
D’ANNAM
クレジットはANNAMのMの文字の下にあるようにM.Passignat.
未使用で経年による汚れなどもほとんどない綺麗な状態。
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2,700 |
V992 |
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バクニン BAC-NINH
BAC-NINHのそれぞれの文字中の写真には駅(gare)、教会(eglise)、市場(marche)というように手書きの説明がある。
差出はバクニンからで、印もトンキン、バクニン、1906年10月3日の日付が読める。宛先のセーヌ・アンテフェリュール(Seine-Inférieure)は現在は存在しない地名だが、1789年のフランス革命により作られた行政区で、セーヌの下流を意味していたがinférieureの語が下等というネガティブな意味をもつことから、その後1955年にSeine-Maritime と名前が変更されている。
印が二つあるうち右側の印が半分のみだが、そこに貼ってあった切手が剥がれたのであろう。
画像で分かるように通信面には黒っぽいシミがある。
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2,240
SOLD OUT
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V993 |
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キャップ・サン・ジャック
CAP SAINT JACQUES (Souvenir)
Souvenir Cap Saint Jacquesの
文字の周りに7つの風景写真。
現在のヴンタウである。いずれも海の入ったそれらしい写真が選ばれている。シルバー・プリント。表の右下角に小さな折れ目。通信文が書かれているが日付はなし。
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970 |
V994 |
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キャップ・サン・ジャックの土産
Souvenir du Cap Saint-Jacques
発行はPlanté, Éditeur,
Saigon. No.323. 現在のブンタウ。
フランスのリオン宛。写真面で薄いが茶色スポットが見える。
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850 |
V995 |
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ショロンからの土産 Souvenir
de CHOLON
ショロン(チョロン)。No.324
Planté, édi?,
Saigonのようだが一部分かりにくい文字あり。合計14の小さな写真は、明らかな中国人もおり、ショロンらしいものが選ばれているか。
未使用だが、地面は経年汚れがある。
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950 |
V996 |
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コーチシナからの土産
1
Souvenir de COCHINCHINE
文字の上部周辺に写真。クレジットは321
Planté, Éditeur, Saigon
通信文の日付は1907年6月13日サイゴンで、送り先は中国のTien
Tsin(天津)。10C切手の消印日付は6月15日、中国天津着印は7月2日。若干の経年古さはあるが、目立つほどの不具合はなし。
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1,405 |
V997 |
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コーチシナからの土産
2
Souvenir de COCHINCHINE
地名の文字内に写真。
発行はPlanté Photo
Saigon. 多くの写真が入っているが、注意深く見るとCOCHINCHINEの二つあるIの文字の中で前の方の中央と後ろの方の上の写真の女性は日本人であり、それらが繫がった3人の絵葉書がある。他にも同じ写真の右と左で別の文字中に入ったものがある。
発行はPlante Photo
Saigon.
スタンプはサイゴン中央郵便局、1908年、フランスのロワール県ファシエール宛。着印の方はLA
HAIE FOUSSIERE、年月日は08年3月29日か?通信面にいくらか汚れあり。
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1,080
SOLD OUT |
V998 |
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ダップカウ DAP-CAU
左下にはMarque au Brule
Parfum、右下にはP,Dieulefils,
Hanoiが記されているが、5C切手を貼っているため一部が隠れている。切手への消印は読み取れないが、通信欄のものだとハノイ、1909年2月12(?)日と読める。送り先もハノイで、第9植民地歩兵連隊第3中隊の人物(隊員だろう)に宛てている。部隊名は通常は9e
Colonialeあたりまで略するのが普通だが、ここでは9e
Reg d’Infa.. Colonialeのように記されている。
一般的な経年古さ。
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2,520
SOLD OUT |
V999 |
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ダップカウからの挨拶
Salut
de Dap-Cau
ダップカウはバクニン市の北東部に位置するバクニン省内の町。現在はあまり知られていない地名だが、20世紀初めには第5外人歩兵連隊、第3外人砲兵連隊などが駐屯した地である。
通信欄の印は1907年7月12日、宛先はバクニンの第3大隊第2中隊の人物。
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1,980
SOLD OUT |
V1000 |
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ダップカウの土産
カラー Souvenir
de Dap-Cau.
カラー(手彩色)。先のSalut
de Dap-Cauの絵葉書同様、こちらにも左下に13の首級写真がある。
差出印は1907年5月、トンキンの...GODESと読めるのはセト・パゴデゥ(Sept
Pagodes)であろう。1891年に設立されたトンキン第1軍事地区の地名であるが、1895年にはモンカイの領土に組み入れられている。がその後も地名は残った。 実際の名前はファライPha
Laiだが、それも現在ではよく知られているとはいえない。フランスのオート・ガロンヌに宛てて差し出されたもの。
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2,520
SOLD OUT |
V1001 |
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ドンダン Dong
Dang.、
今日は中越国境ゲートのある場所でランソン省に属する町。
Collection M. Passignat, Hanoi.
ハガキは未使用で、写真面の黒い部分に指紋のような跡が見える。
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3,890 |
V1002 |
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ハイズォン
HAIDUONG
HAIDUONGのAの文字の上部に和服姿の日本人女性がいる。その女性の絵葉書(商品番号V430)そのままのポーズ(当該絵葉書では「ハイフォンの日本人女性」)。仏印5C切手の消印はTONKIN、HANOIであろう、年は1908年のようだ。
Collection M. Passignat, Hanoi.
一般的な経年古さだが、裏面右上隅に茶色いシミ。
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2,160 |
V1003 |
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ハイズォンからこんにちは カラー
Un
Bonjour d’Haiduong,
カラー(手彩色)
クレジットは左下の天秤を担ぐ女性のロゴで、M.Passignat。
ハイズォンはハノイとハイフォンを結ぶ線の中間よりややハイフォンよりに位置する。差出は1917年1月10にハイズォンから。また通信欄左上隅に長方形印が押されているが、それが何かは不明。
一般的な経年古さに、裏面右端が暗くなっているが全体には綺麗な状態
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3,940 |
V1004 |
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ハイフォン
文字の並びが水平 HAIPHONG
右下にシャネルのロゴがと思わせられるものがあるが、Cは二つではなく、3つのCがかさなっており、このロゴ風マークの下にはHAIPONGの文字がある。またCが交差している部分にS,
R, Iの文字があるが、何の略なのかは不明。
また、宛名欄にタイプ打ちされている”Corection
de Haiphong”は”Correction…”のミスか。
一般的な経年古さあり。
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1,535 |
V1005 |
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ハイフォン
文字並びが右上がり HAIPHONG
右下にP.Dieulefils、左下にはBrule
Parfumのロゴ。
サイゴン中央、手書き部分は1906年8月29日だがスタンプは9月になっている。ヴォクリューズ(読めるのは..CLUSEの部分のみだが)の着印があり、06年の10月であろうか。宛先は童謡の「アヴィニョンの橋の上で」で有名なヴォクルーズ県のアヴィニョン。一般的な経年古さ。
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970 |
V1006 |
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ハイフォンからこんにちは Un
Bonjour d’Haipong.
トンキンのセト・パゴデゥSept-Pagodes1906年12月21日の消印で、フランスのオート・ガロンヌ宛。d’Haiphongと印刷されている上に手書きで”de
ton fils”と書かれているのは「あなたの息子からこんにちは」ということだろう。
経年古さも軽微。
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2,160 |
V1007 |
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ハノイ HANOÏ
右下にP,Dieulefils,
Hanoi.
左下にはBrule Parfumのロゴ。
絵葉書は通常、印刷のある表と裏の紙とそれらに挟まれた紙1枚ないし2枚から構成されているが、この分は表のみが残って、裏と中は欠落している(従って裏は無地)、また下端全体、右下文字のある部分にも傷みがある。
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380
SOLD OUT |
V1008 |
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トンキン、ハノイの行政機関 TONKIN
HANOÏ ADMINISTRATIF
ハノイの行政機関の写真を4点
左下にP.Dieulefils、右下にはBrule
Parfumのロゴ。
未使用だが、通信面が経年により着色。
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1,730 |
V1009 |
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ハノイの軍事関連 HANOÏ
MILITAIRE
ハノイの軍事関連施設の写真8点が入ったもの。右下余白部にP.Dieulefils,
Hanoi.左端余白部にはCollection
P.Dieulefils, 44 Rue Paul-Bert, Hanoi.とある。経年古さをあまり感じさせないきれいな状態。
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4,320 |
V1010 |
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トンキン、ハノイの歴史的建造物 TONKIN
HANOÏ MONUMENTS
ハノイにある歴史建造物4点の写真。
クレジットはP.Dieulefils,
Hanoi. 裏面通信欄には「トンキンの首都」と書かれており、フランスのタルン=エ‘ガロンヌ宛てに送られたもの。
赤茶色っぽい汚れが左側上下に、宛名あたりには茶色っぽいスポット状のものが見える。写真面は綺麗な状態。
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2,740 |
V1011 |
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ハノイ 行くべき2980日以上、学校万歳 Hanoi
Plus que 2980 Jours A Faire. VIVE LA CLASSE. 文字の中などの写真を見ると学校とは軍学校か。
フランスのヴォクリューズ県カヴェヨン宛で、印も同地のもので1906年8月9日の日付。
全体に薄く汚れている。
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3,240 |
V1012 |
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良い年を(制作ハノイ) BONNE
ANNÉE
「良いお年を」と書かれているのみなので、どこのものとも言えないが、制作者が右下にP.Dieulefils,
Hanoi。どの文字の中にも女性の写真が入っている。
左上にはサイゴン中央の二つの消印があり、右側が1907年1月30日という消印があり、右上には中国天津のフランス郵便局の07年2月15日の消印がある。
宛先欄が色違いの文字で乱れているが、受取は下士官で、最初の宛先は細ペンで次いでフランスのトゥーロン宛(フェルトペンのような太い黒字)だったものが、赤字のサイゴン宛となり、更にそれが青文字の中国宛になったか?従って左上のサイゴン中央の印2点は異なる日付ではと思われる。また写真面の右上隅にも印があるが読み取れない。
経年でやや変色あり。
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2,200 |
V1013 |
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良い願い(挨拶;制作ハノイ) BONNE
SOUHAITS
仏語の祝辞、お祝いの言葉で、それぞれの文字の中に女性が入っている。
左下にはBrule Parfumのロゴ、右下にP.Dieulefils,
Hanoi。
サイゴン中央の1907年8月21日のスタンプが明瞭で、フランスのノール宛てに差し出された。写真面で右上隅が僅かに書けている。宛名部分などに汚れ。
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860 |
V1014 |
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フエ Hが大
、文字並びが右上がり Hué
右下にP.Dieulefils、左下にはBrule
Parfumのロゴ。
ハガキは未使用。Hの右下からUにかけて手書き文字あり、左端に若干の痛み。裏面は経年のスレなどによるもの右端近くで汚れがやや強い。
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970
SOLD OUT |
V1015 |
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フエ
文字サイズ同じ、文字並びが水平 Hué
こちらの写真は人が主体。
左下にCollection M.
Passignat, Hanoi. この分はずっとレア。
ハガキは未使用で裏面の右端近くが黒く。
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3,135 |
V1016 |
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インドシナ l’Indo-Chine
特、写真はほとんどがベトナムのものであるようなのは上と同じ。
Collection M. Passignat, Hanoi.
切手2枚への消印はキャップ・サン・ジャック、通信欄の印二つは、片方がキャップ・サン・ジャック、他方がサイゴン中央で、こちらの方は1906年12月2日の日付が明瞭。写真面のSouvenir..の白枠部分には「1907年の幸運を」という手書きのメッセージが読める。新年メッセージは通信欄も同様。宛先はスイス、(ヴォード県)ロール。
経年による標準的な汚れあり。
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1,190
SOLD OUT |
V1017 |
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インドシナの土産 Souvenir
de l'INDOCHINE
特定の市、町ではなく、大きく「インドシナ」としているが、写真はほとんどがベトナムのものであるようだ。人が多いが、討ち取った首級のものもインドシナらしい光景ということか。
クレジットは、右下隅近くに小さいながら天秤棒を担いだ女性のイラストと共に記されているハノイのM.Passignat
通信欄は1910年2月4日ハノイからフランスのオート・ソーヌ県に差し出された。
通信面に経年による一般的な汚れがある。
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970 |
V1018 |
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ランソン LANG-SON
左下隅近くに小さいながら天秤棒を担いだ女性のイラストのハノイのM.Passignat
2枚の切手の消印はランソンで、09年11月21日。宛先は第10植民地[注:連隊?]Haiphon
Interiereのように読めるが?
写真面出来ると上部に1本、下部に何本かの白スジが見えるのは部分的な折れで、裏面から見るとあまり目立たない。
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1,230
SOLD OUT
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V1019 |
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ランソンからの土産
白黒 Souvenir
De LANG-SON
文字中の写真はほとんどが人だが、ほぼ中央Gの下部には13の首級が。その下に発行者のM.
Passignat, Hanoiのロゴ。
赤ペンで書かれたメッセージ欄の日付は1906年12月26日、手書きでVII
Pagodesは消印から読めるようにSept-Pagodes(セト・パゴドゥ)。このSept-Pagodesはフランス人による地名で、現在はPhả
Lạiと呼ばれている。
パリの植民地省の事務長に宛てたもの。
写真面左上隅にシワ、8o長の破れなど傷みあり。
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2,720 |
V1020 |
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ランソンからの土産
カラー Souvenir
De LANG-SON
上と同じデザインだが、こちらはカラー(手彩色)。発行者M.
Passignat, Hanoiのロゴ。
裏面の印は14年5月19日か。中国のフランス郵便を使っている。宛先はフランス、ドルドーニュ県、サン・シプリアン。
通信欄には経年による茶色いスポットがある。
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2,980 |
V1021 |
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ラオカイ LAO-KAY
現在ではローマ字でもLao Caiと書かれる場所。地名のYの下部は日本人女性である。同女性の絵葉書も存在するた、それでは「ハイフォン 日本人女性」とあり、ラオカイと縁があるのかどうかは??だ。
ハガキは未使用で、通信欄の経年古さもほとんど感じないほどだが写真面左上部に楕円形の印が押されている。TONKINが読み取れるが、それ以外は不明。
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1,840
SOLD OUT
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V1022 |
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モンカイ MONCAY
現在はMon Caiと記される。ベトナム最北部の中国と国境を接するクァンニン省の市である。
宛先はトンキン、ホンガイの第18植民地第13中隊の隊員(?)宛て。
写真面の文字Nの上部が白くなっているのは切手が剥がれた跡。その他は一般的な軽い経年古さ程度。
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1,840 |
V1023 |
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モンカイからの挨拶 SALUT
de MONCAY
"Salut”の他の絵葉書と比べると分かるが、文字の中の写真は全て同じで、右下白枠の中の地名を変えているのみである。
発行は、天秤棒を担いだ女性のイラストのノイのM.Passignat。
日付は不明だが、フランスのオーラン県ベルフォール宛てに差し出された。
一般的な経年古さ。
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3,340 |
V1024 |
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ミトからの土産 SOUVENIR
de MYTHO
写真は文字の中ではなく中央に3点のみ。いずれもミト地域の風景か。
No.332
Planté édit.Saigon
裏面の通信文から、サイゴンより1913年10月25日に書かれ、フランスのヴァンデ県宛てに送られた。
経年古さをあまり感じさせないきれいな状態。
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980 |
V1025 |
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ニンビン
NINH-BINH
北部ベトナムにある省名であり、その省都名でもあるが、一連の地名マルチビューの絵葉書で扱われている場所の中では、フエやサイゴンを除く地方のものとするともっとも南の方に位置する地である。
左下にCollection M.
Passignat, Hanoi.
一般的な経年古さがある。
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3,890 |
V1026 |
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ヌイデオ
NUI-DEO
ヌイデオはハイフォンの北方11qの町。
左下にはMarque au Brule
Parfumのロゴ、右下にDieulefils,
Photo-editeur, Hanoi.
Uの文字の上に切手が剥がれた跡とその部分に消印がある。下端中央部、黒い部分に黒ペンによるサインがある。裏面の住所欄にはトンキン、ホンガイの第18植民地(連隊)第13中隊の人の宛名がある。
裏面は一般的な経年古さ。
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1,840 |
V1027 |
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プノンペン PHNOM-PENH
カンボジアのプノンペン。同様の地名マルチ・ビュー絵葉書はトンキン地方の地名が圧倒的に多く、その他の地域は僅かだが、これは珍しいプノンペンのもの。写真の人も同地の人が多いようでもある。
左下にはMarque
au Brule Parfumのロゴ、右下にDieulefils,
Photo-editeur, |
755 |
V1029 |
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フー・ラン・トゥオン PHU-LANG-THUONG
フー・ラン・トゥオンとは現在はバクザン省の省都バグザンの旧名だが、細かく言えばバクザン市南東、ハノイからだと北東方向45qに位置する。1884年、フランスがランソン占領を目指しマンダリン・ロードでの重要拠点とした地。
Lの文字中の上部は日本人女性。
左下にCollection M.
Passignat, Hanoi.
ハガキは未使用で、経年古さも軽微。
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3,240
SOLD OUT
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V1030 |
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フー・ラン・トゥオンからの挨拶 カラー SALUT
de PHU-LANG-THUONG
手彩色のカラー絵葉書。ハガキは未使用で、経年古さも僅かのみ。写真に写っているのは首級も含めて男性ばかり
フー・ラン・トゥオンとはイェンテ(Yen The)に最も近い町で、大きな川の港。フー・ラン・トゥォンは内陸の交通の中心地であり、常にサンパンや鍋腹のジャンクでにぎわっていたとのこと。
左下M.Passignat, Hanoiのロゴもカラー。
ハガキは未使用で、経年古さも軽微。
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3,565 |
V1031 |
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フーリからこんにちは Un
BONJOUR de PHU-LY
フーリPhu Lyとは、ハノイの南方60qの位置にあり、現在はハナム省の省都。
左下に天秤棒を担いだイラストのロゴあるが、それはM.
Passignat, Hanoi.
ハガキは印がトンキンのドンチェウ(Dong
Trieu)を1906年1月8日に差し出され、宛先はフランスのモゼール県ムルト。ドンチェウとはハロン西方60qにあり、現在は陶器の手工芸で有名な場所。
経年により裏面は全体に薄い茶色スポットが広がっている。また写真面で右上角に折り目あり。
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1,980 |
V1032 |
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クァンイェン1 QUANG-YEN
クァンイェンはハイフォンの北東方向にあるクァンニン省内の町。クァンニンQuang
Ninhの名前もクァンイェンQuang
YenとハイニンHai
Ninhの名前を合わせたもの。
左下にはMarque au Brule
Parfumのロゴ、右下にDieulefils,
Photo-editeur, Hanoi.
通信欄で年は不明だが5月15日ハノイより、フランスのヴァール県トゥーロンに宛てられたが、住所が赤(ピンクに近い赤)で横線が引かれ、サン・マドリエ病院にいるらしい。
経年古さは軽微。
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1,295 |
V1033 |
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クァンイェン2 QUANG-YEN
文字中の人物写真はダブっている人が多い。
左下に小さくBrule Parfumのロゴ。
通信欄で年は不明だが5月15日ハノイより、フランスのヴァール県トゥーロンに宛てられたが、住所が赤(ピンクに近い赤)で横線が引かれ、サン・マドリエ病院にいるらしい。
ハガキは未使用で、裏面左端が黒っぽく汚れているが全体の経年古さは一般的かやや軽め。
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1,460 |
V1034以降の商品は V1034-
をご覧ください。 |